と書いてある横断幕が垂れているのを見つけたりしたが、崩れている部分はなかった。おそらく、この地の問題は震災の影響での労働力の都市への流入が一番だろうと思う。人口と共に経済が空洞化することは、現地に住む人にとっては、とても深刻な問題だろう。
その看板を目にし、進んでいくと、震災の、津波の爪痕が、はっきりと現れてきた。
まず、におい。
嗅ぎ慣れている(俺は福島の浜通り出身なので)浜の臭いとは違った。
魚の腐敗した臭いが漂っていた。
福島の浜通りと同じように、そこにも、
「被害の線」 があった。恐ろしいのは、地震よりも、津波だと思った。
津波が届いた地点と、届かなかった地点で、大きく被害状況が違った。
津波が届いたところは、木造の建物は殆どが崩れており、ガラスや扉は殆どがなくなり、
地面には泥水による無数の水たまりができていた。水からは、腐った臭いが漂ってきた。2か月の間、蒸発しきることなく残っている水。被害の凄まじさの一端だった。
これまで2か月の現地の方やボランティアの方の働きもあり、道路部分の瓦礫は、殆ど全て取り除かれていた。現地の方によると、震災直後は、家が道路上に移動していたりと大変だったらしい。つまりは、家が流され、無くなった人がいる、ということだ。
自分たちは、主に建物の中で作業した。
中は、天井がなくなり、天井の中の木がむき出しになっており、地面は、泥ででこぼこの山のようになっていた。一面が茶色かった。
スコップでの泥かきをメインにしているチームもあったが、
自分は、
「泥や本を入れた土のう袋を、2階から1階に運ぶ」
仕事がメインのチームになった。
服装は、仕事用の厚いゴム長靴に、レインコート、ヘルメット、マスク、タオル、耐油手袋等の重装備。
瓦礫やガラスを踏んだり、粉塵を吸いこんだりしないように、細心の注意を払った。
泥だらけになったアルバム、トロフィー、本、ビデオテープ。
それらを選びながら、
「捨てなきゃなしょうがねえよなぁ。」 という被災地の方の言葉を聞き、深い辛さと、同時に、前向きさを感じた。
泥の山のように見えても、ほんの2カ月前までは、それらすべては当然のように機能していたのだ。そうしたことを思いながら、本を土のう袋につめていった。
水を含んだ土の入った土のう袋は、異様に重く、トーガシやライブ等での物資搬入、ビデオ撮影といった仕事を経験している割に全く筋肉のない俺には、かなりキツく感じた。
最後の方は、手の力がなくなり、フラフラになっていた。
二人で机を運んでいる時、もう一人の方が、握力0状態になって滑りそうになっていたり、結構みんなキツそうな表情をしていた。階段の上り下りが多かったこともあり、足にもきた。
しかし、作業時間がそこまで長くないこともあり、時間内でできるだけやろうという意識は、全員共有していたように思う。そういう意味で、男女ともにかなりパワフルに働いていた気がする。
作業着を着ての作業は非常に熱く、汗がスモークのように溢れでてきた。福島原発で今、最前線で作業をしている人は、これよりさらに厚い防護服で、冷房のない仲長時間仕事をしているのだろうと思うと、敬意を表さずにはいられなかった。また、現地の方は、この作業を毎日、毎週のようにしているのだと思うと、その大変さをひしひしと感じた。それだけでなく、家や家族を失った中で作業をしている方もいるのだと思うと、筆舌に尽くしがたい気持ちになる。
だがそれ以上に、現地の方の復興への前向きさと、力強さを感じた。
気仙沼なめるな! という感じだった。
その力強さを支えるのは、自粛や"わかったような"暗い顔じゃなくて、俺は、多少不謹慎でも笑いや明るい姿であるべきではないかと思った。それは、被災地の方もおっしゃっていた。人によって意見は違うと思うが、俺はそう思った。
一日の作業で、土のう袋の山が出来上がり、だいぶ綺麗になった。
だが、約30人が丸一日作業して、建物ひとつ。と考えると、途方もないが、同時に、確実に前に進んでいるのだという事実でもある。夏に冷房のない中作業をするのは、体調管理の面でも非常に大変なので、夏になるまでに、すこしでも力仕事を済ませておくことが、現地の人にとっても必要なことだと思う。
GWは、非常にボランティアも多かったそうだが、被災地の支援は、テレビの報道も減るこれからが、むしろ重要ではないかと思う。同行した商学部の教授もおっしゃっていたが、被災地の仕事を奪う方向ではなく、必要とされている仕事、長期的復興のために何をすべきかを考え、話し合い、計画的に現地と協力して実行していくのが、ボランティアの在り方だと思う。
寄付、義援金はまだ十分に配られておらず、職や家を失った方もいる。雇用の創出やインフラの整備をいかにして行うかを考える行政や企業の努力、被災地復興のため有料で作業を行う新企業の創出など、様々な方向からの支援、努力が必要になってくるだろうと思う。
また、気仙沼はふかひれやタケノコが名産らしく、そうした名産を、積極的に食べ、現地にお金を落とすのも、立派なボランティア、寄付だと思う。そうした支援の在り方もあると思う。決して自粛は正しい方向ではない。
そんなことを思った。
世界一周中に、震災のニュースを受け急きょ戻ってきたとか、
バレエ団で舟の役のアルバイトをしたことがあるとか(笑)、
早稲田職員の方とか、商学部の教授、
バンザイ同盟の女の子、
なかなか面白い人たちとの出逢いもあった。会話ひとつひとつが貴重だった。
サークルやバンドでは、そのコミュニティ内のメンバーが固定されて長く付き合うことになるが、こうしたボランティアでの交友というのは、それとは違って、また新しく、趣味や学部、志向が様々な人間が集まる。中でもボランティアをしようと考えて参加している人は、パワフルな人が多いように感じた、個人的な意見だが。
そういうわけでそうしたつながりをその場で終わらせないためにも、facebookを始めてみた。アドレス交換よりも、なんとなくこういう場だと、つながりやすい、そんなツールだね。
っていうか、
「え、facebookやってないんですか?やりましょうよ。是非是非」
のようなノリに押され、登録してしまった。
でも、Twitterの次はFaceboodkダヨ~という時流、雰囲気も感じており、もともとやってみようかという気持ちもあったので、ちょうどよかったかも。
最近、mixiのサービス精神のないパーソナルすぎるつぶやきの渦が煩わしく感じているのも原因のひとつにあるかもしれない。
「○○食べた~おいしかった~」
「○○かっこいい~」
「AKBの○○ちゃんおめでとう~」
俺には興味のないことだ。だが、Twitterのようにつぶやきをリスト管理することも、簡単にフォロー外しすることもできない。
コミュニケーションの在り方としてはいいかもしれないが、最近はつぶやき機能の台頭により、日記を書くユーザが減り、より情報や現状の状況の共有というより、寂しさの緩和の意味でのつぶやき、というコミュニケーションの在り方を目指し使うユーザが増えているように感じる。Twitterとの差別化により、そうした使い方をするユーザがより増えているのかも。忙しくてみんな書かないってのも当然あるだろうけど。
人の面白い日記を読むことを楽しみに使っていた俺からすると、残念だ。
そういうわけで、mixi離れが進んでいる。
facebookは、今はフレンド6人で、あまり個人的なことはアクティブにつぶやかない予定です。
もしよろしければ申請お願いします。
■Twitter
https://twitter.com/#!/Patrik_Sakamoto ■facebook
http://www.facebook.com/profile.php?id=100002468343552 フレンド申請、フォロー、お待ちしています。
こうしたネットでも、一期一会。友達になろうよ!ビーマイフレンド!
そんな感じ。
欧米か!とツッコまれるような、オープンマインドになりつつある、細菌の俺。間違えた、最近の俺。
________________
追記。。。
6月8日、こんなニュースが。
気仙沼 魚市場再開へカゴ洗浄ボランティアは依然活動しているみたいだ。
ボランティアに対し、あまりいいイメージを持っていない人も多いだろうと思う。だが、無報酬といえど、確実に生産的活動だと思うので、何か被災地に貢献してみようという方、特に大学生や高校生は、是非、今は絶好の機会だと思うので、参加してみてはどうだろうか。
ただし、ボランティアを行っている団体はいっぱいあるので、保険や、安全面でしっかりしているかどうか、など、事前に下調べしていくことも大切だと思います。
そんなところで!
魚市場再開は来週ぐらいからだそう。待ち遠しいですね。
がんばっぺ東北!