PATRIK TIMES私は現代に生きるスナフキン、またの名をフキンシンという。アブサン飲んで、グッド・バイ。 

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自称ファンクバンドからパンクバンドへ

   ↑  2012/05/26 (土)  カテゴリー: バンド活動
言うまでもなく今回の記事は単なる日記なので、興味ない人が殆どだろうと思う。そもそもパトリックのことを知らない人間にとっては、何のことやらサッパリだろう。

アクセス数が増えてきているので、下らない日記でログを辿りづらくするのも心苦しいが、そもそもブログを始めたキッカケがアフィリエイトやアクセス集めではなく、日記をつけたり詩を書いたりオナニィをする場としてのものだったため、今回のように書きたいことがある場合は書くようにしている。

つまらない日記が観たくない人は
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ギタリストの壮絶なる復帰


ギタリスト(以下ジョン。自称ジョンヘンドリックスなので)がたまりにたまっていた市県民税やら前の奥さんとの離婚のアレコレやら交通事故の後処理等で社会的に死にかけていて、一時的にバンド活動を休止していた。戸籍から名前を消して雲隠れしてホームレスをするだとか、浮世離れした話もしていたが、割と適当な会議の後、とにもかくにも復帰することになった。それに伴い辞めていた自分も復帰。

奥さんにエフェクターやらフェンダーのうん十万するストラトを売り払われ、何も無くなってしまったジョンと一緒にギター屋を巡った。金遣いの荒いジョンは数十万持ち歩いていたため、ポンポンポンとエフェクターを買いたし(店員からは「何者ですか…」と言われていた)、更にその夜サイゼリアでマグナムワインを飲み酔っぱらってイギリス人と友達になった。そのイギリス人と一緒にHUBに飲んでいたら、隣のテーブルの人たちと絡みだし、その場にいた八人くらいにアブサンを数十杯おごってしまった。しかしそれをジョンが全て飲み干した。結果ジョンの記憶は完全に飛び、ぶったおれたジョンと俺は店を追いだされた。俺は電車に乗るつもりだったが完全に酔っぱらっているジョンはタクシーを呼び、二人タクシーで家まで一緒に帰り、タクシー代は三万使うという恐ろしいことをしていた。もちろん金は全てジョンヘンドリックスが出していた。

ベースと二人でのスタジオ練習


そうした激しい復帰祝いの後、バンド活動再開。しかし問題は何一つ解決していなかった。

ジョンヘンドリックスは自殺未遂やら女性による脅迫などなにやら激しいことになっており、つい最近、スタジオに3時間入ったら結局ジョンが来れず、ドラムは交通渋滞で、まさかのベーシストと自分の二人スタジオになってしまった。ベースとボーカル二人でのスタジオは初体験だった。

ということで、音はさびしいがお金も勿体ないので、仕方なく二人でストイックにセッションをしながら曲をつくっていた。適当にやっていて三つ四つくらい曲らしいものができた。二人でできることとなると、ロックは無理、もうファンク系の曲しかないということで、できたのは基本的に縦のりファンク系の曲ばかりだった。

イメージはジェームスブラウンだったが、自分はあれほど上手くないので、チンコブラウンという感じだった。和訳すると茶色いチンコだった。実際にそうだと思った。

しかし二人でやったにしては結構面白い曲ができたと思った。自分も昔よりは少しセンスが磨かれた気がするし、ベースも同じくパワーアップしている様子だった。ベースがスティングレイからジャズベに変えたのもあるだろう、ジャズベースは、見た目からも音からも、マイルドな感じがでていた。スティングレイは攻撃力が高いので、一長一短だと思った。

ファンクバンドからパンクバンドへ


二人でやってみて、普段いかに音がぎちぎち詰まっていてやかましいかということにも気付かされた。人数は少ないと歌いやすく感じるのは、普段はメロ部分に激しくたたくドラムスの音など他の音が被るため叫ばないと何も聴こえなくなってしまう状態だからだろう。多くのバンドが、そうした音被りに悩まされる。

自分的には、ある程度強弱メリハリは大事だと思う。ただ、四人でやる時に五月蝿いならうるさいなりに、ファンクは無理だから、グランジ的にやればいいやという気持ちも芽生えてきた。うるさく口を出すのは嫌い。しかし、ベースと二人でやる時はともかく、四人でやっている時の音は完全にファンクをイメージさせない。なにしろ爆音なのだ。ボーカルマイクは常にハウリングギリギリまで上げていた。

長らくファンクロックバンドを自称していたがあまりにもファンク要素がないので、開き直ってうるさいパンクをやった方がいい気もした。バンド的にはその方が向いているようだ。というわけで、自分の中ではもう自分のバンドはパンクバンドというカテゴリで自称することに。そのことをメンバーに話したら、俺もそう思っていた。というようなことを言われた。

知り合いにバンドのことを話す時に、
「どんなバンド?」
と聞かれたら、ジョンは
ジャンルはともかく、ノリはパンクだ
と言うらしい。ごもっとも。

スタジオ出禁になりかけたり、ライブハウスの入り口で大の字で寝たり、ライブ中に客席に入ったり、渋谷の路上で叫んだり、電車を止めそうになったり、よく考えたら、自覚は無かったが、結成した一日目から、やっていることは殆どパンクバンドだった。そういえば、新宿歌舞伎町の野外ライブで、ファンクロックバンドですよろしく!って言っていたにもかかわらず、終わった後に、
「すごいパンクバンドだったな!」
と客が呟いていたのを思い出した。ジャンルなんてのはどうでもいいが、便宜上はそう自称した方がいいだろう。と、そのように思ったわけだった。いい年して、「チンコを出したい」だとか、ライブを見に行って「つまらないから帰ろう」だとか、そういう意味では、ハードコアと言ってもよかった。

そもそもファンクロックとは何か


バンドでファンクバンドを自称していたのには理由があった。まず、全員共通して好きなのがレッチリで、自分がレニクラが好きで、そこからバンドも全員でファンカデリック等のファンク音楽に傾倒していったのがあった。ああいった音楽やりたいなあというのがファンクだった。というわけ。

改めて冷静に考えると、ファンクミュージックとは何かというのは非常に難しい問いだった。確かに、ジャンルというのはそもそもとして便宜上にカテゴライズするためだけのもので、たとえばハードロックといってもヴィジュアル系のようなものだったり、アイドルといってもメタルのようなものだったりと色々またいだりミックスされているもんのが多い。そういうものだと思う。

しかし、そうした複雑なジャンルの中でも、ファンクは特にわかりづらかった。黒人がサックスやギター使って縦ノリやってたらファンクなんじゃないの。と思うこともあった。しかし白人でも、Average White Bandのように明らかなファンクミュージックを演奏していることもあるし、初期のレッチリもファンクロックバンドといってよかった。ジミヘンもファンクロックと言っている人が多いし、ジェームスブラウンはソウルだったりファンクだったりする。

とにかくわかりづらく、そのわかりづらさゆえにジャンルとして伝わりにくいのがファンクだと思った。そのため、敢えて自称する意味は全くといっていいほど無かった。なので、心の中でファンク的なものをイメージしていても、皆に言う時はパンクでいいやと思った。それが、パンクバンドと自称しようと思うようになった理由である。元々、メンバーはニルヴァーナも好きだったので、パンク気分とファンクの縦ノリがミックスできたような音楽ができればベストだとは思っていたが、ライブのことを考えると、パンク前回ではっちゃけるのもいいな、と個人的には思った。来ている人も、わざわざお金を払って無名のインディーズを観るなら、中途半端にマトモなのよりは、ハジケて壊れて楽しめる方がいいのではないか、とも思っていた。自分自身も、そういうライブが好きだった。

やりたい曲について


復帰するまでずっとバンドの音楽のことを考えていた。そこには、やりたいことをまるごとつめこんだような、雑多なわかりづらさがあるように思った。それがオルタナティヴとも言えるかもしれないが、伝わりづらいとも思った。ダイレクトに伝えるには、やはりシンプルな曲がいい。ずっと前からそう思っていた。

無駄の美学


とにかく日本では芸術性や衝動性が求められることは少ない。成熟した資本主義社会の中では、そうした非効率性は毒だからだ。しかし自分は毒を求めたかった。無駄なものにこそ美学がある。バンドをやっても金の足しになどならない。日本の音楽文化は終わっているし夢の無い世界だ。しかしそうした無駄や徒労こそが人間らしさだ。人間としての美学は無駄にこそある。成熟した社会の安定性に染まりきった機械どもにはわからないことだろう。自分が機械でないと思う人間は無駄をおおいに愉しむがいい。

とにかくそうした機械の溢れる日本で生きていると、鬱憤がたまる。バンド活動は発散の場だという考えも強まってきた。2ちゃんねるを見ていてもニコニコ動画を見ていても、精神的に幼く芸術を理解しないナンセンスな書き込みが多く、苛々する。ロスコの絵をアップして「こんなの俺でも書ける」「これが数億?馬鹿じゃねーの」という書き込みはナンセンスだ。芸術は開拓であり創造とはその時に生きている人に訪れる一瞬の輝きだ。もちろん現代と親和性のあるものも多い。それが普遍性ともいえる。しかし一過性のものもある。一過性の輝きもまた芸術の魅力である。

何ら創造せず評論家気どりのニート臭い人間の意見はまっぴらだ。では社会人はどうかというと今度はAKBだ何だと「誰かの意図にのっかった」クソつまらない人間が多く、センスを感じる友人は少ない。要は彼らは、忙しくて芸術や音楽に構っている暇などないのだ。カラオケでAKBを歌いだす友人には嫌気がさす。そんなコンパノリはまっぴらごめんだ。しかしそう言いつつも歌ったら歌ったでなんだかんだ盛り上がったりするのだが。しかし結局、クズの吹き溜まりのようなバンドマンとつるむのが楽しいという話になる。他にも面白い友人はたくさんいるが、多くの日本人は創造性に欠けナンセンスだ。日本らしさはいつの間にか消え、ただ奴隷的な勤勉さだけが残った。そしてその勤勉さの中で独自性は消えつつある。川端康成は日本の美しさを表現し袴でノーベル文学賞の授賞式に臨んだ。村上春樹は英米文学の匂いがする。それがグローバル化の流れか。自分は少しそうした流れがつまらないと思う。

日本の美しさ。美しい精神性。芸術性。あらゆるセンスが全てアングラへとおとされて力を失って影に隠れているのがいまの日本社会だろう。それでも俺は日本が好きだ。アングラの中には確かに輝きがある。そうした輝きをたまに見せようともがいているのが売れない屑のバンドマンどもだ。バンド活動で一番楽しいのはたまにでもその輝きを観られることだ。日常会話ではセンスがどうとかいうとただのキチガイ扱いされるが、音楽や芸術活動等の創作活動においてはそれが許される。当然それは優れたものを創り出している人間にしか許されないことであり、それができるようになるために精進するのみである。今はできているとは言い難い。しかし自信は皆無ではない。

とにかく、何かを創るということは、何かが起こる未来に期待するということでもあり、それが生きる希望に繋がる。死にたいという屑どもは、何かを創ろうとする限りは希望を持ち続けられる。希望がかなうか否かよりも、希望を持ち続けられるかどうかが重要で、希望を持ち続けるために必要なのが努力だと俺は思う。努力を失くした人間は希望を失い希望を失った人間は努力をしなくなる。そのどちらが欠けてもだめだ。そして若い人間ほど、何か目標をもつならば、より長く保ち続けられる夢をもつべきだ。それは医者になるのでもエリートサラリーマンになるのでも社長になるのでもアイドルになるのでもいい。ただ、多くの夢はなることで終着してしまう。

バンドの終着点はバンドマンになることではない。いい音楽をつくること、みとめられること、誰かを感動させること、紅白に出ること、CDを何千枚売ること。目標をいくらでも定めることができる。日本では著作権料が安く音楽番組はアイドルで埋め尽くされているためバンドマンにとって商業的な夢を観るのは厳しいが、それでも創作的な夢を観るのことはいくらだってできる。それがバンドをやる楽しさであり目標をもつ楽しさである。

自分の先輩は起業していま現在上場企業の社長として頑張っているが、社長業もそうだろうと思う。つまり起業することで社員を増やす、上場する、売上○%アップ、優秀な社員を入れる、事業の幅を増やすと様々な目標をもつことができる。それこそが起業の楽しみだろうと思う。そうした夢を持ち続けられる職業につくことができた人間は幸福だ。

逆に、夢を持ち続けられない職業についた人間は、趣味で創作活動をするのがいいだろう。金を使ってソープ嬢にコイてもらったり、何人の女とヤッただのとそういう下らない話で盛り上がるリーマンは多いが、そうした目標の浅いことをしていると突然空虚に襲われることもある。そうした空虚の中で自殺を考える人もいるだろう。しかし趣味の中ではいくらでもステップアップできる。それも一つの人生の在り方だと思う。

長々と語ってしまった。何の話しをしていたか忘れた。日記は脱線してなんぼだ。脱線からの発見も多い。読んでいる人のことはあまり考えていない。自分が何かを発見し手にするために書いているといってもいい。なので改行も滅茶苦茶だ。

とにかく、バンド活動は、無意味に感じることも多いが、ステップアップし、創作していくという点で目標が持ち続けられるので、楽しい。前にすすまなすぎると、これもまた終わってしまうだろうが、そうならないよう、がんばっていきたい。前に進むというのは、必ずしも商業的なことだけではなく、納得できる曲をつくること、納得できるライブをすること、ということに繋がってくる。
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