PATRIK TIMES私は現代に生きるスナフキン、またの名をフキンシンという。アブサン飲んで、グッド・バイ。 

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では、グッド・バイ。

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ヒッチハイクをした話

   ↑  2013/02/20 (水)  カテゴリー: 日記・妄想
今日は久々に日記を書こうと思う。結構前の話。

周囲が必死に就職活動をする中、自分は完全に未来を見失っていた。夢を語るほど努力もしていなかった。実績も何も無い。既に夢を追う年頃ではないことに気付き始めていた。タイムアップだ。やがて人々に訪れる諦めの時が、訪れてしまった。これからは稼がなければならない。自分の手で。自分の足で。そして多忙に飲み込まれる。螺旋のような日常に足を踏み入れ、蟻地獄のようにズルズルと深淵へ引きずりこまれていく。

そんな人生がこの先に待っていると考えると、ゾッとした。恋もしていなかったし、結婚願望も無かった。結婚して、子供を作って、マイカーにマイホーム……なんて願望は全く無かった。ただ、自分という存在を認められたかった。芸術家として、文筆家として、詩人として、アーティストとして、とにかく何でもよかった。ただ、特別な存在になりたかった。ファンタジスタって言われてえよ。強いて言えばそんな感じだった。機械のように資本主義に飲み込まれるのはマッピラ御免、そんなのは虫どもと同じだろうがという考え方だった。厨二病をこじらせるとこうなる。

しかし現実を見るとどうだろう。俗物ども!俗物どもが!と周囲のマジメな人々を見下しながらも、自分はこれまでの人生、彼らと異なる証は何一つ手にしていなかった。ただ変人と言われるばかりで、賞のような確たるものは何一つない。小学校の縄跳び入賞と、中学の英検2級、普通自動車免許ぐらいだった。学校も、芸大でも音大でも何でもなく、クソのような俗物の集まったクソ田大学だった。大学も自分も嫌いだった。かといってクソ田大学の友人たちのようにメガバンクマンや証券マンになっている自分も全く想像できなかった。エリートサラリーマンになって美人とセックスしたりキャバクラに行く毎日よりも、芸術家のようなクリエイティブな毎日にあこがれた。

周囲の友人たちが短髪にし、スーツを着ながら説明会に足しげく通う中、自分は完全にピーターパン状態になり、ネバーランドを探し続けていた。結果、年間取得0単位で留年。クズの極みだった。時間だけは腐るほどあったので、図書館に通う毎日だった。江戸川乱歩全集を1から読んだり、太宰治の作品を「あ」から順番に呼んだり、バルザック、ドストエフスキイ、シャルル・プリニエ、辛酸なめ子。脈絡も無く昔の作品を読み返していた。恋愛心理学、脳科学、更には相対性理論を疑えという本にまで手を出すようになった。自己啓発本を読んでも啓発されるのは性欲ばかり、家に帰ってはFC2の動画でエレクチオンする毎日。カラオケ店で一人で夜通し声からしフリータイム。ブックオフで少女漫画やボーイズラブを立ち読み。100円のクソゲームをプレイ。深夜の徘徊、猫と戯れ。クズの代表的な日々を送っていた。

当時健気で優しい彼女がいたが、輝く彼女と比べ際だつ自分の屑さに嫌気がさし、「もっと優しくていい人がいるよ。俺じゃだめだ。まず結婚できない。未来が無い。君には勿体ない。さらば。」という気持ちでいたために、次第に遠ざかっていき、やがて別れてしまった。振った癖に落ち込んだ。酒を飲んでは記憶を無くし、財布や定期を無くし、すれ違う女性の乳を揉もうとして友人に止められたり、渋谷の真ん中で小便をしながら回転したり、見知らぬ駅で目が覚め上着を無くしたり、知らないうちに痣ができたりと、それはもう散々な日々だった。記憶は無くしても心の喪失感は消えなかった。

出逢い

ちょうどその時のことだった。ネットで知りあった京都の友人から、
「今度遊びにきなよ!京都来た時は案内するよ。」
という連絡がきていたので、思い立ったが吉日と、荷造りを始めた。社交辞令など関係が無かった。しかし全財産18000円。これでは往復のバス賃にしかならない。せっかく行く気マンマンだったのにこれでは何もできない。ということで、ヒッチハイクをすることにした。

18000円では心もとないのでPS2のゲームやCDを売り軍資金にした。思い出のゲームやCDが1枚あたり10円で取引される中、全く思い入れの無いアクアタイムスのアルバムが500円で売れた。悲しい現実だと思った。結局所持金は2000円しか増えなかった。渋谷のLOFTでペンとスケッチブックを買い、その足でヒッチハイクの名所港北PAを目指した。藤が丘というところから行けるというのは、ネットで下調べしていた。万全だと思った。

ところが、方向音痴がアダとなり、いつの間にか横浜青葉ICに到着していた。わけもわからぬままバイパスを歩いていたら、ショベルカーのような色彩のパトロールカーに補導された。
「君、こんなところ歩いてたら危ないよ。」
そんな感じのことを言われた。強盗に間違われてパトカーに乗ったことはあったが、パトロールカーは初めてだったので、貴重な体験だと思った。携帯を駆使し港北PAの場所を突き止めた俺は、道路の脇の草むらからメタルギアのようにさっそうとPAに潜入した。ネットによると駅から20分らしいが、方向音痴が災いし2時間以上かかってしまった。とりあえずPAでラーメンを食べることにした。たくさん歩いたこともあり非常に美味しく感じられた。

プラカードに『ヒッチハイクです!京都方面お願いします!』と書いてゴミ箱の前に立った。雨だった上に、真冬だったので凍え死ぬ直前だった。気の毒に思った老人やおばさんに何度か声をかけられるが、京都方面に行く人はいない様子だった。雨の中震えながらPAでプラカードを持っている青年は、不審者以外の何者でもなかった。既に時刻は23:30、辺りは暗くなっていたために、プラカードの字も読めなくなっていた。自分の思いつきと突飛な行動を反省し、落ち込み始めていた。
その時、
「乗せてやるよ。」
と神の一声がかかった。30~40くらいの、かっこいいお兄さんだった。
「なにしてんだ?こんなとこで。」
彼は言った。事情を説明すると、岡山まで行くから、乗せてやると言う。涙があふれそうになった。男色家で、車内に連れ込まれた後にレイプされるかもしれない、などということは考えなかった。不安はあったが、さしのべてくれた救いの手を信じようと思った。車の中で話をしていると、彼がフォトグラファーをしていることがわかった。

芸術とは、人生とは、感性とは、写真とは。彼は様々なことを語った。自分は芸大や音大ではなく偏差値が高いだけのつまらない大学に通っていたため、文学部に在籍しながらも周囲に芸術肌の友人はほぼいなかった。そのため、彼のように大人になっても芸術と向き合っている人間は非常に珍しい存在だった。そのため、彼の発する言葉はどれも、自分には刺激的で、心に突き刺さることとなった。ちょうど自分の人生、創作を趣味にするか、模索し続けるかで悩んでいるところだったので、この偶然の巡り合わせに、神の意思すら感じた。
しかし彼はこう言った。
「俺には感謝しなくていい。ヒッチハイクで、たまたま出逢ったのは、俺の選択じゃない。君が選んだ事なんだからな。」
選択という言葉を、彼は大事にしているようだった。道は全て自分で選ぶべきだ、そしてその選んだ道に責任を負うのが彼の生き方かもしれないと思った。自分の選択により、彼と巡り合い、こうして京都へと向かっているというのは、不思議な感じがした。

彼は、運転していると眠くなるので、話し相手がいて助かった、と言った。強盗などのリスクもある中、素性も知らぬ若者を乗せた彼の優しさを感じると共に、彼もまた、自らの選択で、見知らぬ青年を救ったのだと思った。

彼は写真についても多くを語った。
「フォトグラファーは、人に頼まれて撮るんじゃない。自分がいいと思ったものを撮るんだ。」
カメラマンとフォトグラファーの違い。彼はフォトグラファーである自分に誇りを持っていた。
「写真をやってる奴には三ついる。カメラが好きなやつと、撮った写真が好きなやつ。そして、撮ってる自分が好きな奴。俺は、後の二つだ。カメラなんて嫌いだね。道具にこだわってるやつは道具以上のものは撮れない」
「写真家はゴキブリさ。社会に生まれる矛盾すべてが被写体だ。ゴキブリだよ。ゴキブリも、背中だけは光ってるけどな。」
彼の言葉は一つ一つが斬新で面白かった。部屋の隅にいるゴキブリのことを思い浮かべた。彼らは机の下、排気パイプの中、マンホール、この世界のあらゆる汚い部分、見えない部分に隠れている。それが世界の見えない部分。彼はそういうことが言いたかったのかもしれないと思った。
「俺のことを変だ、とか珍しいって言う奴がいる。でも、どっちが変かね。」
変という言葉について考えた。何が常識で、何が狂っているかの物差しは、社会にしか無い。社会と折り合いがつけられればそれは常識的で、そうでなければ、非常識か。では、常識とは、普通とは、一体何だろう。そのようなことがぐるぐる頭を巡った。彼はまた芸術についても語った。
「芸術は感情のあらわれだ。喜び、悲しみ、苦しみ、それが芸術になる。」
「俺は悲しい人間だ。気づいちまったから、普通じゃいられない。結婚して、子供産んで、余裕があれば犬飼ったりして、、そうやって気付かない方が、幸せでいられるのにな。」
彼の言う言葉ひとつひとつに重みがあった。人生の重みだと思った。彼も迷い、苦しみの中、もがいているのかもしれないと思った。

長い道のりの後、大津のSAに到着した。彼は、ここなら徒歩で出られるから、と言って、俺を降ろし、こう言った。
「君が俺の車に乗ったのも、俺が君を乗せたのも、互いが殺人犯じゃないって信頼があるからだろ?感じとれるもんなんだよな。」
じわりと来た。大津までの数時間、彼との間に何か特別な関係が生まれたように感じた。数時間前まで全くの他人だったのに、車とは不思議なものだと思った。大津SAは、逆側まで歩いて行くことができる構造になっていた。既に外は暗くなっていたが、一般道を歩き駅を探すことにした。歩きながらもずっと、彼とした会話のことを思い浮かべていた。一つ一つの言葉の意味を考えていた。それは特別な体験だった。自分より一回り以上年上の、自分自身と向き合い続けている写真家と会話する機会は、忘れたくない経験の一つだと思った。

一時間近く歩くと、膳所駅という駅に到着した。時刻は朝の6時になっていた。そこから京都は、電車で割とすぐだった。

京都旅行記


京都に到着した。あまりの嬉しさに、女性二人組に話しかけ、
「うおー!京都についたぞー!」
と書いたプラカードを持って写真を撮ってもらった。それから、全く下調べをしていない京都を練り歩くことにした。まず行ったのは、京都駅から近い東本願寺だった。工事中のところが多く、周囲も近代的な建物がいくつかあるために、残念ながら期待していたような趣はあまり無かった。

それから、京の旅館通りを歩くことにした。狭い道の雰囲気は好きだ。京都に来た、これが京都だ、と思った。風呂に入ろうと、雰囲気の良さそうな老舗の旅館に行くと、宿泊者以外は入れないと言われてしまった。しかし心優しい受付の女性が京都タワー銭湯の割引券をくれた。金の無い旅行でこれは有りがたいと思った。それから京都タワーの銭湯に入った。なんてことのないフツーの銭湯だったが、お湯に浸かることで、張り詰めていた気持ちがほぐれていくのを感じた。

それから、mixiで知りあった京都に住む友人と会うことにした。プロフィールの性別が男だったので、男だと思い込んでいたが、女だった。しかし性別などどうでもいい話、京都を案内してもらうことにした。急遽、向こうの友達数人と、アニソンカラオケ大会に参加することとなった。うたひろと同じ看板のジャンカラに入るのも初めてのことだった。初対面でアニソンを歌うのはなかなか勇気がいることだったが、ガンダムや魔装機神などでなんとか乗り切った。撲殺天使ドクロちゃんのようなキチガイめいた曲を叫ぶ女の子に、Origaを完璧に歌う子、もう何かよくわからないがとにかく激しい曲を歌う男。京都すさまじいなと思った。カオスなカラオケだった。

それから案内でお好み焼き屋に行くことになった。京都のお好み焼きは非常に美味しかった。その後は、友人が家に泊めてくれるというので、友人の予定が終わるまでD志社大学の図書館で本を読み時間をつぶした。レンガ造りで歴史があり、コンクリートのカタマリのような建物ばかりの関東のどこぞのマンモス大学と比べてだいぶ文化的な大学だと感じた。それからその友人の家に泊まった。女性の家だが、友人の友達もいたのでご安心を。宿泊代が浮いて大助かりだった。

朝は加茂川に行った。静かな雰囲気で、とても癒やされた。それから下鴨神社へ。
「君がため御手洗側を若水に」
「結ぶや千代の初めなるらむ」
方丈記の元ネタとなった場所は、橋に梅がとてもきれいだった。ようやく京都らしくなってきた旅行。その後は哲学の道を歩きながら哲学的なことを考えたりした。道中にいたキジトラ猫に構おうとしたが、無視される。

銀閣寺を目当てに向かっていったが、観覧時間を過ぎていたため見ることができなかった。仕方がないので、その付近にあった大文字山を登ることにした。よく考えたら狂気の沙汰だった。大文字山のふもとは鳥居に提灯が並び、幻想的な空気だった。しかしそのまま登っていくと、人工物は無くなり、目の前に伸びるのは細い道と木々のみ、背後に伸びるのもまた道と木々のみと、完全に山の中にいることに気がついた。人はだれもおらず、途端に心細くなった。途中に地蔵さんがいたので挨拶をしつつ、しばらく歩くと、山頂へとたどり着くことができた。山頂から眺める山と空は絶景だった。人がいないのもまた良かった。その景色を独り占めした気持ちになっていた。山から眺めると、街は霧煙って見えた。

闇に染まっていく景色を観て、夜が近づいていることを感じた。よく考えたら、夜になった時のことを何も考えていなかった。そこからは早かった。周囲が序々に闇に飲まれていき、気がついた時には、自分は完全なる黒の世界の中にいた。前も見えない。道も見えない。どこに進めばいいかもわからない。そんな中、手探りで必死に前へと進んだ。このまま死ぬかもしれない、と思った。その時、奇妙な声が聴こえた。
「ハァ、ハ、ハ、ハ、ハ!」
山に響きわたるその声は、人の叫び声だと思った。しかし、周囲に人は誰もいない。それに、こんな真っ暗な山を歩くような自殺行為をする人間が、自分以外にいるとも思えない。
「ハァ、ハ、ハ、ハ、ハ!」
再びその声は響いた。よく聴いてみると、カラスの声に似ていた。カラス天狗の声だと納得することにした。後日様々な場所でこの『カラス天狗の声』の話をするが、誰も信じてくれなかった。カラスっぽい声なら、カラスだろ、としか言われなかった。味気ない。

雨も降っていた。何かに急かされるように、走った。早く抜け出さなければ、このまま死んでしまうと思った。気がつくと、山を降りていた。とにかくお腹が空いていたので道路脇を歩いていると、シズクというカフェが目に入った。雨の中、暗闇の中にぼうっと浮かびあがるその店が、自分には童話の世界のように見えた。凍えた身体をさすりながら料理を注文すると、これまで食べたことのないような創作料理が口の中でとろけた。夜中に突然山に登ったのはキチガイだったが、この体験により、後悔は無くなった。むしろ、楽しい思い出として胸の中に残った。

次の日の朝、龍源院に行くことにした。狭いわりに拝観料は高かったが、計算された庭の幾何学的な美しさは、群を抜いて素晴らしかった。宇宙を表現しているとという石の配置など、解説も豊富で、観覧料分は楽しむことができた。季節外れの京都、龍源院は人気が無いのか、人は殆どいなかった。それも良かった。

それから定番の金閣寺に行ってみた。なんだかんだでやはり美しいと思った。燃やしてやろうという人の気持ちがわからなくもないとも思った。ごまだんごがとても美味しかった。日本人に生まれてよかったと感じた。堂本印象美術館にも行った。外観が、総合失調症患者の書く絵のようなヘンテコっぷりで、たまらなく心をくすぐった。芸術のニオイがした。その脇の道路には、地層がむき出しの場所があり、これも自然の創り出すアートだと思った。

それから、きぬかけの路に行った。人は誰ひとりとしていなかった。あまりに美しすぎる深い緑の色彩に、神の姿を感じた。完璧だ。木々も、空も、大地も、全てが美しいと思った。

夜は、一条妖怪ストリートに行った。商店街の人が店の前にそれぞれ自作の妖怪を置いていたので、一匹一匹写真に撮った。どれもB級感が漂っており、それもまたよかった。やたらリアルな老人の顔の妖怪が一番面白かった。

翌日は二条城へ。門がでかい。広大さは圧倒的だった。掘を見ながら、忍者はここから忍び込んだりしたのだろうか、などということを考えたりした。やや俗っぽい。まあいいだろう。入場料は高めだったが、広くて素晴らしい場所だと感じた。

昼は、250円弁当という弁当屋でからあげ弁当を注文し、道路の脇で食べた。値段の割に量も多く、美味しかった。本願寺の脇を通る時、「親鸞さま~ねがい、そして、ひかり~」DVD発売中(東本願寺出版社)という看板を目にし、噴出してしまった。それから、久楽芸古という方のアトリエにお邪魔した。和紙に写真を印刷するという斬新な手法を生み出した方で、陽気に話しかけてくれた。アトリエにあった彼の自分史を観てみると、アパレル会社の社長を辞めて芸術家になるという、なんとも奇抜な人生を歩んでいることがわかった。非常に面白かった。

それから、やや遠かったが、東寺に行った。鯉に水鳥が景色に特別な効果を与えていた。寺からは写経が聴こえ、宗教的な気持ちにさせられた。紅い傘の下、ソフトクリームを食べながら眺める五重塔。絶景かな!絶景かな!五重塔は行って正解だと思った。

その後は、清水寺へと足を運んだ。名所だけあって、観光客でにぎわっていた。シーズンオフで、京都には人が殆どいないと思い込んでいたが、それは大きなマチガイだった。みんな、清水寺に来ていたのだ。土産物屋を見たりした。金が無いので何も買わなかった。清水寺から見る夕陽はとても美しく、一眼レフを持っている人を沢山目にした。名所なだけあって、別格の美しさだと思った。しかし何よりも良かったのは、側にあるわき道だった。人は殆どいなかったが、階段の脇に和風の建物が並ぶさまを観て、これこそが見たかった景色だと思った。

夜は、翔龍というラーメン屋でラーメンを食べてから(美味しかった)、伏見稲荷に行った。伏見稲荷が山ということを知らなかったので、また性懲りも無く登ることに。そして後にあまりの道のりの長さに愕然。夜の伏見稲荷は、稲荷だけがオレンジ色にぼうっとライトアップされ、魔回の入り口のように見えた。人はやはり誰もいなかった。迷い込んでしまったのだ、と思った。歩いても歩いても同じ景色が続いた。今どこを歩いているのか、ここを出た先はどこなのか。何一つとしてわからなかった。道中、黒猫を見つけたので、しばらく共に過ごした。時間をかけることで、警戒をとき、分かり合うことができた。頂上付近から見る夜景は、都市の窓から漏れるかがやきが星のようで、絶景といってよかった。歩き続けるうちに、足の異常に気がついた。骨折したように痛い。よく考えたら、旅行を初めてから、歩き続けの毎日だった。伏見稲荷は、どこまで進んでいるのか、どれくらい歩けば終わりが見えるのか、全くわからない構造になっていたため、無限の回廊、幻夢世界を歩いているような気持ちになった。

しかし終わりは見えた。文明社会の光が拡がっていくことに安心を覚えるのは、不思議な感覚だと思った。その夜は、漫画喫茶という名前の漫画喫茶に泊まった。個室は無く、落ちつかなかったが、安く済むならなんだってよかった。朝、友人が見送りにきてくれた。加茂川には虹がかかり、自分の角出を見送ってくれたのだと都合良く解釈した。虹のかかる川。雪の降る京都。すべてがいとおしく感じた。

帰りは、ヒッチハイクをしていく気力が無かったので、高速バスを使った。寿司詰め状態で、隣の女性の太ももが何度もこちらの太ももに当たるため、昂奮してしまい、全く落ちつかなかった。バスの中で、旅行のことをずっと考えていた。2万円で、毎日3食、1週間あまり過ごせたのは、奇跡といっても良かった。食費と寺の観覧料が、出費の内約だった。そして、その2万円と引き換えに手にしたのは、サバイバル、宗教、空想、オカルト、友情、日常生活では得難い体験ばかりだった。

旅行を始める前、胸中に抱いていたモヤモヤは、変わらずモヤモヤ漂ってはいたが、不快では無くなっていた。選択の迷いは、選択の重みをわかっているからこそ生じる副産物だと思った。それだけ生きることに向き合っているということだ、それは何も悪いことではない。また、何かで胸が押しつぶされそうになったら、放浪しようと思った。そういえば、あらゆる人に対し無断で旅だったので、死んだのではないかという噂になっていたのも面白かった。自分は、簡単に死ぬことはない。少なくとも、何かを成し遂げるまでは。そうポジティブに考えられるようになっていた。何を成し遂げるか、そのハードルをどこまで上げるか、どこまで下げるか。それにより、この人生の価値は変わってきそうだ、と思った。

長々と書いたが、終わり。記憶を手繰り寄せながらなので、時系列はやや狂っているかもしれない。
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